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道具箱としての編集者あるいはドラマ・トゥルク

僕は普段、小説を書いたり演劇を作ったりしている。

正確に言うと、小説を書いたり演劇を作ったりすることのお手伝いをしている。

小説に関しては、実作もやる。しかし、他の人の文章を読んで「ここはこうした方が良いんじゃない?」とか助言することが多く、職業として機能しているかは別として、編集者的な役回りをすることが多い。

また、演劇もいわゆる劇作や演出ということはほとんどやらず、制作や広報周りをやっていることが多い。しかし、先日ドラマ・トゥルクという肩書きで作品づくりに携わることがあり、非常に刺激を受けた。

今回は、編集者あるいはドラマ・トゥルクとして、道具箱的に作品づくりに関わることの可能性を考えたい。

小説家も演出家も、自分の世界を持っている

小説家や演出家になる条件はなんだろうか。優れた文章力があることだろうか。類稀なる構成力があることだろうか。

僕は、小説家や演出家になるためには、自分の世界を持っているということが一番大切だと思う。その世界観は、別に先天的に身につけているものである必要はない。今までの人生の中で磨き上げられてきた、「私には世界がこう見えています」という感覚が大事だ。

これさえ持っていれば、後のことは時間をかければ大抵どうにかなるだろう。しかし、この世界観というものだけは、時間をかければ良いというものでもなさそうだ。現に僕は、特に自分自身の世界観というものを持っていない

だから、どんなに荒削りでも、自分の世界観を持っている人たちに僕は激しく嫉妬する。自分はどうしてこうなれないんだという悲しみが、いつも僕の中に渦巻いている。

解決策の根拠を作る

しかし、最近は編集者的に、あるいはドラマ・トゥルク的に作品に携わるようになって、気づいたことがある。

僕は、人の作品を見るとどうしても短所ばかりが目についてしまう。このことについては、以前記事を書いたことがある。

人の作品の長所を見つけられる人は作家向きで、短所を見つけられる人は編集者向きという話

ただ単純に短所を見つけるだけだったら嫌なやつだが、僕はその解決策をセットで考えるのが好きだ。ここは言い回しを変えた方が良い、ここは登場人物を減らした方が良い、ここは場面を入れ替えた方が良い、などなど。

しかし、その解決策のためにはある程度の根拠が必要だ。だから、僕は最近、作品をつくる代わりにこの「根拠」を探し回ることにしている。そのためにたくさんの小説や演劇、アニメ、漫画、映画を見るように心がけている。様々なジャンルの物語を、様々な媒体で。その一つひとつがどうやって構成されているのかという知識が、解決策を示す際に根拠になる。

また、これまではなんとなく敬遠していた「物語を書く技術」や「演出論」にまつわる書籍を読んだりしている。どうしてこれまで読んでこなかったのだろうと自分を責めるほど、目から鱗の情報ばかりだ。

もちろん、そのすべてを信頼しているわけではない。しかし、様々な創作方法を知っていることは、誰かに何かをアドバイスをするうえで、力強い武器になる。様々な方法の中から、その人にあった方法を提示でいるかもしれない。

僕は道具箱でありたい

小説家や演出家の作りたい世界観があって、それを適切に創り上げるために伴走する。それはつまり、僕は道具箱として使われたい、ということなのだと思う。

僕に作り上げたい世界観はないけれど、もしそれを示してくれるなら、僕にはそれを一緒に創り上げる準備はある。そういう人に、僕は憧れている。

本当は、自分が世界観を持てないのは悔しい。しかし今、僕は世界観を持つべきときではないのかもしれないとも思っている。もしかすると、その時は一生来ないのかもしれない。でも、その時が来るのを信じながら、僕は常に道具を蓄えておきたい。

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