熊本での戯曲研究会で有島武郎「ドモ又の死」を読んで

先日、熊本のstudio in.K.で戯曲研究会を開催した。今回で7回目となる。

毎月1回ほどのペースで戯曲を読み、僕が司会みたいなことをしながらそれぞれが感想を述べ合う、というような会だ。ちなみに今回は、有島武郎の『ドモ又の死』という作品を扱った。

僕は大学で近代文学を勉強していたのだが、有島武郎の作品はほとんど読んだことがなかった。もしかしたら0だったかもしれない。名前は知っているが、実は作品を読んだことがないという方もお多いのではないだろうか。

有島武郎は、文学史上は「白樺派」という言葉と共に語られることが多い。この名前の由来となった『白樺』は学習院の同窓生が作った同人誌で、武者小路実篤や志賀直哉などが参加していた。

有島武郎の人生

戯曲研究会を行うときは、読んだことがない作家であっても、だいたい本を読んでその作家にある程度詳しくなった状態で臨むことにしている。戯曲に、その人の生い立ちや境遇などが反映されている場合も多いからだ。

マイナーな作家にあたったときは資料を集めるのにも苦労するのだが、今回はメジャーな有島武郎だったので、書店に行けば情報収拾には事欠かなかった。

以下、せっかく調べたので有島武郎の生涯につて記しておこうと思う。

有島武郎は、明治11年の東京に生まれた。父は、大政奉還前は薩摩藩の下級武士で、維新後は大蔵省へ。やがて役人を辞め、実業家に転身している。このことからもわかるように、基本的に有島武郎は金持ちである。

ちなみに、弟には画家と有島生馬や、小説家の里見弴がいる。

幼い頃から横浜のミッションスクールに通い、日本語より英語の方が達者だったようだ。そのまま学習院予備科、中等科と進み、本来ならば高等学校→帝大というコースが一般的だが、彼は違った。

有島武郎が進学したのは札幌農学校。文学と歴史が得意教科のはずなのに、彼は農業を志したのだ。そして友人の森本厚吉の勧めで、キリスト教に入信することとなる。

札幌農学校を卒業した後、一年間の軍隊生活を経て渡米。フィラデルフィアのハヴァフォード大学院に学んだ。ここでは3年で修了する予定だったものを1年で終えてしまい、その後はハーバード大学院へ。spれらも終わった後で一時期アメリカの農場で働き、母校に帰ってきて英語の講師をすることになった。このとき、明治40年。有島武郎は数えで30歳。

その後、キリスト教は退会。それと前後して、同人誌『白樺』に参画することになる。

彼は結婚して数人の子どもができるが、妻に先立たれてしまう。しかし、その後に婦人公論記者の波多野秋子と男女の関係に。この頃の婦人公論の記者といえば、バリバリのキャリアウーマンだったらしい。この波多野秋子には夫がいたので、いわゆる不倫というやつだ。

そして、大正12年の6月8日に、有島武郎は波多野秋子と軽井沢へ。翌日9日未明に首を吊ったという。そして、7月7日にかなり腐敗の進んだ状態で見つかったそうだ。

文豪は自殺するもの、と思っている方もいらっしゃることだと思うが、自殺する人が目立つだけであって、実際はそう誰も彼もが自殺をしているわけではない。文学史上で自殺をしたことで有名な人といえば、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成、そして有島武郎くらいだろう。

「ドモ又の死」を読む

そして、今回戯曲研究会の課題に選ばれた作品が「ドモ又の死」。大正11年、有島武郎の個人雑誌『泉』に発表された。晩年の作品である。

青空文庫にあるので、興味のある方はぜひ読んでいただきたい。

ドモ又の死

全員で一読してみて、これはコメディみたいなでというのが概ね参加者全員が抱いた感想だった。5人いうの売れない画家と、そこに出入りするモデルの女の短い話だ。上演すれば、およそ1時間もかからないだろう。

その5人の男のうちの1人が、この中の1人が死んだことにすれば、そいつの作品に箔がついて高く売れるだろうという算段で、5人の中の誰かを死んだことにしようとする。死んだことになったやつは、当人の弟として出てくれば大丈夫だろうという考えだ。しかし、それでは死体ができないので、石膏に絵を塗ったりして死体に見たてようとする。絶対にバレるだろうと思うんだけど、当人たちは真剣だ。しかし物語は、その石膏の死体がいざ他の人の目にかかる…!ところで終わる。この続編があるとすれば、三谷幸喜的なドタバタ喜劇が展開されるに違いなし。

しかし、現代喜劇では描かれないような場面が描かれているからこそ面白いと言えるのかもしれない。

出てきた意見の中には、これがキリストの復活と関連するようなものではないかという意見も出た。有島武郎は途中で退会したとはいえ熱心なキリスト教信者だったので、その可能性だって無きにしもあらずかなと思う。

また、演出家によってかなり雰囲気の変わる作品になるだろうという意見も多数出た。落語的に、どうしようもない人物たちが馬鹿みたいな感じで演じるのか、それとも本当に神妙に貧しい雰囲気で演じるのか…。。個人的には、かなり大袈裟に演じておかしみを演出するのが当然だと思っていたが、話を聞いていると、確かにそれぞれ真剣に困っている演出というのも、逆に滑稽味が出て面白そうだと思った。

7回目戯曲研究会を終えて

7回も同じような催しをやっていると、さすがに段々慣れてくる。最近は面白い戯曲に当たるなー、とここ3回くらい思っているんだけど、もしかすると繰り返し読むことで戯曲を読む体力がついていきているのかもしれない。

戯曲は、基本的に一人で読んでもつまらないものだ。これが現代劇ならともかく、青空文庫に載っているような戯曲は、言葉遣いや風俗が今と違うので、少しやりにくい部分がある。

しかし、今でも読み継がれているということは何か普遍的な価値があるということ。もちろん、残っているからといって全ての作品に価値があるとは限らないが、まあ価値がある可能性が高い。

そういった作品を、あまり苦にならずに読めるというのは、本当に幸福なことだと思う。練習も無駄ではなかっのだ。

さて、studio in.K.ではこれからも定期的に戯曲研究回を行う予定だ。

次回は課題戯曲も日程もまだ決まっていないが、まあまた開催するだろう。

熊本にお住まいの方で戯曲を読んでみたいという方は、ぜひ足を運んでいただきたい。

おそらく、 僕のTwitterをフォローしていれば情報が流れてくると思う。→@ATOHSaaa

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