ハウツーを書くときは敬体、コラムを書くときは常態

文章を書くのが好きだ。もともとは小説を書くのが好きだというところから始まったんだけど、大学生の頃からブログを書いていたし、同人誌にも小説以外の文章を書いたりする。

ブログの記事を書くときに、僕は前もって敬体(=ですます調)で書こうとか、常態(=だである調)で書こうということは考えない。考えないから、一つのメディアの中で僕の書いた文章はどちらの形式もごちゃまぜになってしまう。

試しに、僕が主宰している「蓼食う本の虫」というブログメディアの、僕が書いた執筆記事一覧を見ると、全く文体が統一されていないことがわかる。

意識的に書けばもちろん変えることができるんだけど、どうしてバラバラに書いてしまうんだろとずっと疑問だった。しかし、過去に書いた文章を見ていると、どうやらある傾向があるということに気づいた。

それが、タイトルに書いたように「ハウツーを書くときは敬体、コラムを書くときは常態」ということだ。

ハウツー記事を書くとき、僕はサービス精神を発揮していることが多い。たとえば、「おすすめの〇〇5選!」みたいな記事を書くとき、記事を読んでくれる人はお客様だという感覚がある。だから、もてなしの意味をこめて敬体で書いてしまうのだろう。

一方で、今書いているこの記事のようなコラム風の文章を書くときは、自然に常態になる。これは、誤解を恐れずに言えば、この文章を読んでいる人のことをお客様だと思っていないのだろうということになる。

たぶん、コラムを書いているときというのは、自分の内面に向けて語りかけているような感覚なのだ。自分の思考を整理するための文章。そしてそれは、読み手に対して親しみをこめて語りかけることなのかもしれない。

僕は太宰治という小説家が好きなのだが、彼はいつでも親友に語りかけるようにして小説を書く。その方法で、今でも多くの太宰信者を獲得している。彼が常態ばかりで小説を書いたのかというとそういうわけではないが、僕にとって常態を使うということは、太宰風に内面を語ることに似ているかもしれないと思った。

というわけで、この記事は、このブログでは敬体・常態が混在するということの言い訳として機能することになる。上記の分類に当てはまらないこともあると思うけど、そういうときは見逃していただければ。

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